アニメ「名探偵コナン」こと、コナンくんの劇場版感想を簡単に載せている場所です。 普段の場では行数が膨らみすぎてしまう恐れがあるので、別個ページを作成しました。 ☆注意事項☆ 好き勝手に書いています。この場合の「軽口」とは、滑稽や面白い言葉の意でなくお喋りな様です。 これをご覧になって気分を害されましても責任は負えません。ネタバレも同様に。 苦情やご意見は掲示板までお願いします。その他雑談もどうぞ。 |
劇場版を観てきた。 ここまでコピペ。そりゃあ楽で良いのだ。 軽口感想 早速感想、の前に、この拡張版は3回目にして1周年。 軽口感想シリーズを1年以上書いてみて、ある程度の構成が固まってきたので今回もそれに則ってみようと思う。 鑑賞前→あらすじ→本編感想→演出、作画等→音楽→劇場の様子。備考があれば余談として。 鑑賞前状況と状態 今年の私はあまりファンとしては良くない態度、心情で公開日を迎えた。 事前情報をほとんど取り入れず、毎年欠かさず購入していたサウンドトラックCDを買わず、楽しみにするという感情さえも忘れてしまった。 良く言えば、新鮮且つ純粋な心を持って観られる、とも言える。 あらすじ 近未来若しくは既に現実に氾濫する技術を用いたセキュリティシステムを入手し、悪用しようとする黒の組織。インターポールの施設には組織のメンバー「ピンガ」が侵入しており、差別主義者もびっくりの女のような男(ラムの嘘外見)を体現して見せた。コナンくん開始時には無かった技術は、幼児化したふたり、更には、と作中の人物の存在を脅かす物。開発者の幼少期の知り合い宮野志保、彼女と灰原哀が技術の力によって一致してしまう。データを手に入れた黒の組織とそのメンバー、ウォッカ、キャンティ、ピンガは哀ちゃんの拉致誘拐へと漕ぎ出す。そこへ現れた予想外の強敵、空手家毛利蘭はピンガに徹底抗戦。首に怪我を負わせるも、狙撃により生まれた隙の内に逃げられてしまう。コナンくんと阿笠博士は本気の追撃を行うが、ウォッカとピンガ、哀ちゃんを乗せた車は海へと消えてしまう。峰不二子が友人と乗っていそうな潜水艦が浮上し、組織がそこへ身を潜めていることを知る。しかし防犯カメラの映像に姿は無い。荒れるコナンくん、話を聞き静かに興奮するジン。八丈島なんて遠出なのに何故警護に付いて来ない赤井秀一、メンバー大集合なのに何をしている降谷零。物語は海中から海上へ、花火ボールと共に「純黒の悪夢」も褪める色鮮やかな極彩色のクライマックスへ! キスもあるよ。 本編感想 あらすじで体力を使い果たしたので簡単に。 まだコナンくんは面白くなるのか、と。これは正直驚きだった。今作は事前情報を取り入れていない為、どこが誰が案を出して、などといったことが何も分からない。青山先生はどれだけ原作へ組み込む要素を削って、この映画に費やしたのか。原作の展開、予想されるいつかの終劇はこれを超えることが出来るだろうか、など不安に思ってしまう程の会心の出来。これを事前情報無しで見られたことは光栄であると言いたい。これから毎年そうしようかな(笑)。 時系列としては、先日放送された原作100巻収録の海猿島編よりも前らしく、キャメルの髪型は変わる前。本編前半で映った時点でほんのひと時、そんなに前か、と冷めてしまったが感情を覆す濃厚で激越を呼び起こす展開が続きすぐに忘れる。 今作は久しく失われていた「緊張感」を再度出すことに見事成功したと思える。ネタになる黒の組織、誰も彼もが手を抜き平和に浸かるキャラクターたち。それらを一気に締め上げ、劇場を緊張で包んだことは称賛モノである。私は黒の組織はかっこ良く、恐ろしい物であって欲しいと常々願っているので、今作のそれは最高のひとこと。メンバーによって思惑があり、感情があり、純黒の悪夢のように一箇所に集うのでなく、それぞれが個々に行動してこそ味が出る。滲み出る。さてあの方は? 小林清志さんがご存命の間にもう少し話を進めて欲しかったと思う、この頃である。 終盤、「紺碧の棺」を思わせる小型の酸素ボンベを活用して、あの映画では「相棒」と互いを認識したコナンくんと哀ちゃんが名場面を再現。紺碧の棺が大好きだからこそ、出るアイテムが嬉しく、再現も思わず唸る。そう、恐らくは誰とも違う視点で感動を覚えたのだと思う。しっかりと口付けは蘭ちゃんに返す、哀ちゃんはいじらしい。 総括は最後に。 演出、作画等 今作は既に書いている通り、事前情報も取り入れず、今この文章を書いている際にもパンフレットを開いていない状態。スタッフ詳細はクレジットで軽く見た程度なので、今日は省くことにする。 立川監督、櫻井脚本、この組み合わせは「ゼロの執行人」以来2回目。ゼロの執行人も非常に重々しい空気を漂わせ、また近未来技術を用いた展開も共通している。大倉さんが昔ながらの味わいを書ける方とするならば、櫻井さんは新しい形を書ける方と言える。しかし台詞使いはあまり好みではない……。今作において私は、立川監督らしさ、を見つけることが出来なかった。ゼロの執行人にて印象的だった絵になる背景とキャラクターの組み合わせはイメージボードによる物。今作もそれに則ったと見える印象的な場面はあったが、立川監督らしさ、とは違うだろう。 作画は概ね安定。原画人数、会社を含めて相変わらずの量であるが、これは規模の広がりを考えれば仕方がない。時に、山本監督時代の沈着冷静堅実で、安定感ある作画とクレジットが恋しくなってしまう。エンディングでの目も(笑)。青山原画は一時に比べて分かりやすい。それだけまたアニメデザインと原作絵が離れたということか。少年サンデーを待とう。 音楽 何故この枠を設けたのか? サウンドトラックCDは買っていない、主題歌は合っていない。 というようなことを朝書いたら、スピッツはロック楽曲もあるぞ、と言われてしまった。申し訳ない。そこで私はBeing信者を名乗っているが、よくよく考えればコナンくんはポリドールに始まったタイアップ。スピッツはそう、ポリドールなのである。つまり何よりも純粋なコナンくん主題歌なのだ、と気付かされた。 サウンドトラック。昨年に続いて大野さんはもういない。しかし、宮澤さんが脱却することの出来なかった標的イントロを変えた1年目、続いてオリジナルを大切にしながら新鮮な音を巻き込む後任には感謝をしたい。但しあまりにも作風が違うのでテレビには導入して欲しくない。ひとつ、昨年のハロウィンの花嫁にあった楽曲が何曲か聞こえたが、これらはアレンジなのだろうか? 流用だろうか? 気に入らない、と言いつつ頭に残っていたあたり作曲家というのは流石である。これは、バラードヴァージョンの「キミがいれば」を聞く為にやはりCDを買うべきだろうか……(苦笑)。 劇場の様子 比較情報として、私が赴くシネコンは毎年同じ場所、同じスクリーン、ほとんど同じ席である。 超満員御礼。初日だからかコナンくんだからか、人の多い空間は苦手でも映画館の騒めきは心を昂らせてくる。始まる前から興奮である。マリオで大はしゃぎである。 男女比率は年々アンバランスになっていることが如実に分かる。圧倒的な女子率の高さ。アニメ映画に黄色い声は大切であろう。劇場は周囲の言葉や感想に耳を傾けるのも一興、私の耳の良さは神に感謝。 さて今作では劇場が感動に包まれた。賛否が飛び交う昨年とは大違いで、涙、泣き声、啜り泣き、ほとんどの気持ちが一致した状態だった。賛否も大切であるが、これもまた大切である。 余談 結局一日中、電気式華憐音楽集団が頭を流れ続けていた。組織に爽やかさは似合わないので、メタルで上書きをし続けたのだった。 みんなも聞いてみてネ。 おわり 総括。これまでのコナンくんに散りばめられた作中の要素、映画作品の作り、それらが非常にバランス良く合わさって完成した作品が「黒鉄の魚影」である。この出来、正に感情に表し「ぎえー! ひょえー! 合わせて魚影!」である。……(笑)。 強いて批判をするならば、小五郎の活躍があまりにも無かった。代わりに声が一緒のイーサン・本堂の出番があったので大満足。 来年は平次とキッドの組み合わせ。何時ぞやのキス未遂事件の落とし前を付けるのだろうか? またキスか。「紺青の拳」が相当に良かったのと、キッドは「天空の難破船」を私の中で超えられないのでどの作風でやって来るか楽しみである。しばらく重苦しかったから明るく楽しく、がいいかな。 |