完成 2022年4月16日 公開 2022年4月16日 最終更新 2022年11月20日 ハロウィンの花嫁の軽口感想 - ざれんの小部屋


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~ ハロウィンの花嫁 ~



アニメ「名探偵コナン」こと、コナンくんの劇場版感想を簡単に載せている場所です。
普段の場では行数が膨らみすぎてしまう恐れがあるので、別個ページを作成しました。

☆注意事項☆
好き勝手に書いています。この場合の「軽口」とは、滑稽や面白い言葉の意でなくお喋りな様です。
これをご覧になって気分を害されましても責任は負えません。ネタバレも同様に。
苦情やご意見は掲示板までお願いします。その他雑談もどうぞ。






劇場版を観てきた。


それはそうだ。そういうことを書くページなのだから。
まだ不慣れなもので。



軽口感想

さてさっそく本題。
まずは書いておこう。ハロウィンの花嫁は、「犯人」だった。
この程度のネタバレが頻出するので注意されたし。

今作、まず注目すべきは、その新しさ。
監督はもちろん、劇伴担当も変わったことで、作品の空気が大きく変わったと言える。
満仲監督は、私の中ではケロロ軍曹。劇伴の菅野氏は、ジョジョといった具合。
特に音楽は、今までのコナンくんにあった、「毎年の安心感」。これが失われて、先程書いた通りに空気が変わったと共に緊張感が生まれた。
サウンドトラックに関しては後日、別のページに記述する予定なので此度は省くとする。



ハロウィンの花嫁は傑作だ。

私としては、ここ10年余りで一番面白かったと思えた作品である。
これは正直、日によって変わることもあるのであまり気にしないで欲しい。
しかしながら、例年と比べ、その発言ができるほどには面白かったとも言える。
つまりはそういうことだ。

キャラクターに無駄がなかったことが評価として挙げられる。
私の中の不安。それは警察学校の人間を物語に絡ませることで生まれる矛盾。
それから広がる風呂敷と、ありとあらゆる後付け設定。
これらは今作において、杞憂に終わった。辻褄合わせが上手だったのだ。
いや、細かく書くとあるにはあるが……。
さておき、登場するどのキャラクターにも意味があって、誰もが非常に良いバランスで活躍をしたと思える。

今作の特色として、多くある過去回想。
この回想場面において、時代を懐かしむことができるかと思いきや、新規作画による歴史修正主義によって現代のものとなった。
恨んでいるわけではない。
むしろ少し面白かったのだ。

物語は11月に起こったことを中心として進んでいく。
当時、揺れる警視庁ではアニメオリジナル要素として放送日の1月へと作中時間を変更させられていたが、これもいつかのロンドン編のように、しっかりと修正されていた。
やはり面白い。


これは監督らしさか?

満仲監督といえば、私の中ではケロロ軍曹である。初めに書いた。
脱獄した揺れる警視庁の犯人、ほとんど話すことなく爆死してしまった譲治を少し気の毒に思いつつひとつ。
この序盤での退場、これは、ギロロだ。
おそらくオープニング前の焚き付け要因として再登場した線が有力であるが、ケロロ軍曹において絵コンテ演出、作画監督までを担当していた満仲監督ならば……と勘ぐってしまう。
そう、何を隠そう、ギロロ伍長は「かませ犬」なのだ。
えぇ、劇場で思わず浮かんだことを書いたまで。あまり気にせずに。
そういえば、本編開始前の時間にも少しケロロたちがいたね。

本当に書きたかったのはこれから。
ケロロ軍曹はコミカル、時々シリアスな作品である。
そのコミカルな演出の特徴が、今作にはよく表れていた、と私は思った。
普段のコナンくんでは見ることのない、顔周辺に出る漫符。
それこそ今作のコナンくんにおける、癒しの要素であり、また新しさのひとつであると言いたい。
表情豊かなコナンくん初め、多くのキャラクターたちは度々その顔を変える。
呆れ顔、にやけ顔、口を大きく開けたツッコミの顔などだ。
ハロウィンの花嫁では、それらにわかりやすく、明確な符号が使われたのだ。
新鮮だった……。とても好きだ。

それから続くギャグシーンにもケロロ軍曹らしさ、基、満仲監督らしさ、と思える要素がある。
例えば哀ちゃんとコナンくんが、探偵団の誘いを断るべく部屋を後にしようと移動する場面。
動きとしてはありきたりと思うかもしれないが、あれこそ満仲監督らしいギャグシーンの描き方なのではないか?
そう思ったのである。
表情のみならず、人物の動き方、これは演出によって違いが出やすく、作品の感じ方を変える要素だと考えている。

え、シリアスの部分はって?
う、うーん。
これはケロロ軍曹だけに言えることではないが、コメディからの転換。
メリハリが意外とよくできている、ところではないだろうか……(苦し紛れ)



嬉しかったこと

映画において大切なことは、その作品内にどれだけ感情移入できるか?
子供たちには申し訳ないが、今作、棒読みキッズが存在しなかったことは素晴らしいことだった。
映画の雰囲気を壊すことなく、緊張感を保ち続けることができた。
また、ちゃおガール(だったはず)や、ゲスト声優も参加していたが、彼女たちは違和感なく作品に溶け込んでいた。
これもまた今作の評価を大きく上げている点である。

キャラクターとしては、そもそも近年の作品で出番が減少傾向にあった警視庁の人間。
警視庁は時として無能ともとれる(主に原作)が、映画においては引き締め役を担う立派な大人である。
今作の千葉は許されないところもあるかもしれない。
それはギャグシーンと思って流そうではないか。
それに白鳥警部もいる。
彼はかつての恋敵として登場した。
白鳥警部といえば、元劇場版オリジナルの登場人物。
途中、劇場版の皆勤記録が途絶えた時には怒りを覚えた。
しかし今作は登場、更には高木刑事を励ます役目としても大活躍だった。
これには大満足である。
それから、ひとことも話すことはなかったが、序盤の結婚式の場面。
私の好きな、松本管理官(現、警視正)の再登場。
これには思わず声が出そうになったほどだ。
ありがとう。

空気が変わった、緊張感が生まれた、と書いた。
これは、コナンくんとその周りの人物の状況によっても左右されたと思える。
序盤の小五郎の退場、同じくして安室さんの行動制限など。
すっかり仲間だらけになってしまったコナンくんを、少しでも孤独にさせたことは良かった。
孤独、と書くと違うようにも感じるが。
余裕がない、それはとても大事なことなのだ。



残念だったこと

映画において大切なことは、その作品内にどれだけ感情移入できるか?
満仲監督の言うように、現実を忘れて映画に夢中になることは大切で、そして最高の体験である。
私が今作最も、残念と思い、不満に感じた点は「背景」である。
全てではない。むしろたった、角度変えて2場面か。
渋谷の街を丸ごと再現した技術には感動を覚えるほどであった。
CG嫌いな私としてはそこあたりに文句を付けるだろう、と自分で思っていた。しかし違ったのだ。
本当の問題点は病院内の1場面にあった。
申し訳ないのだが、詳細は書けない。私が最もインターネットに書くことを拒絶することだからだ。
だが、病院の場面。蘭ちゃんとコナンくんが、村中さんへと辿り着く会話。
これで、概ね理解できるだろう。
現実を忘れ……そう言いつつも、架空の作品に最も似合わない現実がそこにはあった。
怒りを覚えたのだ。
これを感じたのは私だけかもしれない。だとしたら、本当に申し訳ない。



逆を言えばそれしか不満点がなかった。

マウスの調子が悪そうなのでそろそろ書くのをやめろ、ということだろうか?
「キミがいれば」の復活、めでたかった。
サウンドトラックの件は、まだ私が耳に馴染んでいない、ということもある。
その他やりたいことがあるので、しばらく待っていて欲しい。

歌詞付きのメインテーマ。
劇場版としては「探偵たちの鎮魂歌」以来、また新曲としては「迷宮の十字路」以来となった。
フェイントとして、歌詞の抜かれたものが「紺青の拳」にあったが、あれは復活の兆しだったのだろうか。
どうあれ、喜ばしいことだ。
毎年とは言わない。これからもあの曲は伝えていって欲しい。
ところで今作で歌っているのは誰なのだろう? コーラスのふたりのどちらだろうか。



おわり

劇場版25作目「ハロウィンの花嫁」
25という節目の年に、成熟した形ではなく、新しい挑戦をしていった。
更にはそれによって、作品が進化をした。
これらは十分にも、十二分にも評価したい。
慣れない「だ・である」表記の為に、上から目線のようだが本音は「感謝感激雨あられの金平糖」である。

来年は20作目以来、組織との一戦が見られそうだ。
海、船だろうか。
船を使った物語では、原作も映画も良作が多いので期待したい。
また「天国のカウントダウン」のように、別人に終わらないように。
ジンがシェリーに会えるように(会ってはいけない)、祈る思いで見ていこうではないか。

最後に。
阿笠博士はやはり偉大である。



追記(4月18日)

私がブログをやっている関係で、少し書けていなかった話があるので追記。
コナンの最新巻(101)を読んだ時の感想から、過去回想が増えて「振り返りというものは素晴らしい」と書いた。
これは私の考え方にあるところから来ているのだがこの映画を観て、更に後、スーパーダイジェストブックを読んでより思った。
今作は過去と現在が交錯して、過去があって現在がある、といったテーマを感じる。
当然だろう? と思うかもしれない。しかし過去を重要視する人間は意外と少ないものだ。
私が今作を高評価する理由はもうひとつ、そこにあって、それぞれが生きていた過去があるからこその物語。
難しいようで、単純な話。私はそういうのが大好物だ。




追記2(5月3日)

4DX体験
純黒の悪夢を最初にほとんど毎年4DX版を観に行っている。
アトラクションみたいで楽しいのだが、本編開始前の4DX専用オープニングムービーが一番よく体感できる。
ので、いつも本編では物足りない思いをしてしまいがちだ。
今年もそうだった。どうやら他の客もそうだったらしい(笑)。

他人の気付きを確認
ナイトバロンがいた!
→いた。確かにいた。渋谷の人だかりの中に、かなり目立つ位置にいたよ。
冒頭の刑事が過去の資料から描き起こされたらしい!
→いた。確かにいた。見覚えのある、初期の頃いた名もなき刑事を数人認識できた。1回目は松本管理官に意識がいきすぎていたな。

聞こえてくる「微妙」の声
これは1回目の時にも聞こえた。
私が映画館の好きな点を挙げるとするならば、ひとつは他人の反応である。そしてそれは2回目以降顕著になる。
そこで聞こえてくる、いくらかの若者たちからの「微妙だった」という言葉。
一体なぜだ。私なんか「ここ10年くらいで一番」とまで言ってしまったのに!
ここ数年で私の感性はすっかり老け込んだので、若者の感じ方を理解することはできない。
とても疑問だ。何が不満だったのか、と。
思えば音楽は微妙だ。全くその通りだ。え? 視点が違う? 困ったな……。

感想を見返せば
このページの初稿はあまりにもだ。慣れない文体に、文章が不安定すぎて面白い。
ここ数週間で私は少しばかり慣れてきたぞ。
本編外のことを話せば、先程も出たようにやはり音楽面。
オープニングの時点で大野さんの名前がないこの不安が、本編終盤まで続いてしまう。
それから、エンディングクレジットに出るメインテーマとキミがいれば、のふたつに作詞の高柳さんと共に「大野克夫」の名前。
この安堵は事件解決以上のもので、つまり異常だ。ここまで私は大野さんが好きだったのか!
ただ思い出せば、主題歌がBeing系列でなくなった時も似た感情だったように思う。
つまり、何年経っても慣れない。